何をやっても幸枝若から逃れられん。それやったら認めて…
「はい。浪曲評論家の芝清之先生の企画で、『2人福太郎』という会に出させてもらいました。東京の福太郎さんは若くして亡くなってしまいましたが」
西の福太郎があまりに幸枝若と似ているので驚き、近い将来、必ずや2代目を襲名すると確信したものだ。しかし、襲名は初代が没してから13年も経ってからだった。
「勧めてくださったのは、初代と親しかった作曲家の村沢良介先生です」
村沢は1956年に鈴木三重子の歌でヒットした「愛ちゃんはお嫁に」の作曲家である。
「作詞の原俊雄先生のお墓参りに大阪へ来て、初代の墓にも参ってくれたんです。その時に『襲名してほしい』と言われました。先生は話を進めるために再度大阪に来て、初代の奥さんを私と一緒に訪ねた。奥さんも村沢先生が頭を下げて頼むから、『この子が継ぐなら誰も反対せえへん』と了承してくれました」
2003年のことで、この年は初代の十三回忌にあたる。=つづく
(聞き手・吉川潮)