飯野矢住代誕生秘話<4>母親の要求に山口洋子は「わかりました。ウチも倍の金額を支払います」
山口洋子は知人から教えられた住所を頼りに、飯野矢住代の住むアパートを探した。真夏の蒸し暑い日だったという。汗を拭いながら、道玄坂の細い路地を行ったり来たりして、ようやく一軒の古いアパートにたどり着いた。ミス・ユニバース日本代表に選ばれるような、一流モデルの住む自宅には見えなかった。
「ごめんください」と言うと、空咳の後、「どちらさん?」と聞こえた。矢住代の母親だった。質素な二間きりのアパートに母子は肩を寄せ合うように暮らしていた。このときのことを山口洋子は次のように書き残している。
《私は名刺を出して単刀直入に、実はおたくのお嬢さんのことなんですけどと話を進めた。ぜひうちの店で働いていただきたくて、お願いにあがりました、むろん条件は最高にさせていただきます。とりあえず百万円の契約金でといったあと、素人から働くにしてはめいっぱい弾んだつもりの給料の額を伝えた。(中略)母親は、そりゃあママさん、何といっても本人の意志が先ですよもう大人ですから、いったい矢住代がどういいますかね……(中略)神妙に頷きながら、食えない相手だと踏んでいた》(「ザ・ラスト・ワルツ 『姫』という酒場」/文春文庫)