小山田圭吾氏の謝罪から1カ月 それでも止まらぬ批判…許される日は来るのか?
「いじめというのは、傍観者という観客がいてこそ成り立つものでもあります。たとえ傍観者であったとしても、加害者がいじめを円滑に行うことに加担してしまっているのであれば、『見て見ぬ振りをする人』であり、立派にいじめの世界観を構成するための要素になってしまっているのです」
しかし、小山田氏が雑誌で"いじめ自慢"をしてから30年以上が経つ。彼は一生十字架を背負い続けなくてはならないのか。文春オンラインでは、人権問題に取り組んでいる診療内科の先生を紹介してもらい、これから自分に何ができるのかを相談しているとも語っていた。
■まずは被害者にきちんと謝罪を
「小山田氏はまず被害者本人に対し、声に出してきちんと謝罪の気持ちを伝えるべきです。その上で、いじめを減らすための活動に積極的に取り組んだり、障がいを持つ方へのサポートなど、『自らの過ちを未来に繋げていく行動』を見せていくしかないと思います」(新行内勝善氏)
小山田氏がいくら弁明したところで、雑誌で障がいを持った同級生の年賀状を晒したことも事実であり、一部でもいじめを実行したことには変わりはない。小山田氏の謝罪と反省は、過去のいじめという過ちよりも、自身が起こした騒動についてというニュアンスの方が強く感じた。であれば、まずは「いじめ」は「罪」だという大前提の認識から変えることが必要になるだろう。