テレビ芸を潔く諦め…清水ミチコが努力を努力と感じず手にした芸の高み
その頃には、タモリはもう音楽活動をほぼやめ、テレビ司会者の方向にシフトしていたため、「よし、これは私がやろう」と勝手に意思を継いだ(文芸春秋「文春オンライン」2021年1月15日)。しかし、活動の場をテレビに広げると、何かに対して瞬時に返したり、みんなと集団で笑わせるような、いわゆる「テレビ芸」が「自分にはなかった」ことに気づく(同前)。
そこで彼女を救ったのは子供の頃から得意だったモノマネだった。それがあることで「女芸人」というカテゴリーから「逃げられた」のだ(同前)。
清水には大事にしている言葉がある。20代前半の頃、バイト先の先輩に悩みを打ち明けると「人間は幸せにならないようにできているのよ。だから、頑張るとか頑張らないとかじゃなくて、淡々と受け止めないといけない」(ヤフー「Yahoo!ニュースオリジナルVoice」22年4月8日)と言われたのだ。
目からうろこだった。それから、自分に合わないことは諦め、自分がやりやすいものを探すことが大事だと思うようになった。その方が「自分が楽だし、見ている人も楽だ」(同前)と。