テレビ芸を潔く諦め…清水ミチコが努力を努力と感じず手にした芸の高み
「ダウンタウンやウンナンとの情熱が全然、違ってた」(清水ミチコ/テレビ朝日系「証言者バラエティ アンタウォッチマン!」4月25日放送)
◇ ◇ ◇
今や、モノマネ芸人として唯一無二の立ち位置を確立した清水ミチコ(62)。テレビデビューした1987年には「笑っていいとも!」のレギュラーになり、その翌年にはダウンタウン、ウッチャンナンチャンらとの「夢で逢えたら」(ともにフジテレビ)のメンバーになり、その名を知らしめた。
しかし、清水本人はそこで大きな挫折を味わっていた。その実感をつづった言葉を今週は取り上げたい。「集団コントに向いていないと初めて知りショックだった」と続ける。
もともと、清水は10代の終わり頃に音楽と笑いを融合したタモリのコンサートを見て「これだ!」と思い、芸人を志した。タモリのことを調べていくうちに放送作家の高平哲郎の存在を知り、ラジオや雑誌に投稿し始めた。採用された喜びを話したバイト先の店長の親戚にはラジオのディレクターがおり、放送作家兼出演者としてデビューすることになった。