高橋幸宏さんは多彩で多才の人 音楽、映画、ファッションに通じた「人生の達人」の足跡
ミュージシャンとしては、作曲を手掛けたYMОの代表曲「ライディーン」を鼻歌からつくったなどの逸話があり、テクノポップというジャンルを築いた。
20歳で「サディスティック・ミカ・バンド」に加わり、イギリスツアーにも参加。パワフルなドラムで、YMО時代は叩きながら歌った。構成作家チャッピー加藤氏はこう振り返る。
「まず、ドラマーとしての腕が素晴らしかったですね。YMОでは、コンピューターの音と同期できる正確無比なドラミングが必須でした。ただ正確なだけでは単調で飽きられてしまいますし、正確かつ、それでいて人間的というか、エモーショナルなドラミングを要求されたわけです。そのむちゃぶりに、見事に応えてみせたのですから凄い。幸宏さんがドラマーだったからこそ、YMОは世界的に評価されたのだと思います。幸宏さんを誘った、細野(晴臣)さんの慧眼もさすがでした」
YMОの2作目「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のジャケットで、大きな話題になったメンバーの赤い人民服も幸宏さんのデザイン。ご本人いわく、中国の人民服ではなく、古いスキーウエアをモチーフにしたそうだが、もみ上げを剃り落とした「テクノカット」といい、80年代はおしゃれな若者がこぞってまねをしたものだ。