中森明菜の配信復活で注目されるもう一人の歌姫…ちあきなおみは“生ける伝説”に
ちあきは1969年に21歳で日本コロムビアからデビュー。70年リリースの「四つのお願い」が大ヒット。その年のNHK紅白歌合戦に初出場。それ以降、音楽番組に引っ張りだことなったが、ちあきは幼いころから波乱万丈な人生を送ってきたことが明らかになった。
「当時、人気音楽番組だったフジテレビ系の『夜のヒットスタジオ』には、歌手本人に内緒で縁のある人がスタジオに登場する人気企画“ご対面コーナー“というのがありました。ちあきはご対面コーナーで、その相手が父親だとわかると会うのを拒絶してしまったのです」(番組制作会社関係者)
この件をきっかけに、筆者はちあきの生い立ちの取材を始めた。母親の影響で4歳でタップダンスを覚え、5歳で日劇の舞台を踏んだちあきは小学校入学後、「五条エミ」の芸名で米軍キャンプなどで歌ってきた。一方、父親については悪評しか聞こえてこなかった。ちあきが父親との対面を拒んだ理由をうかがい知ることができた。
■美川憲一とタンスにゴンのCMで大ブレークも…
「次から次にヒットを飛ばし、72年に『喝采』で日本レコード大賞を受賞。78年には当時、俳優で故・宍戸錠さんの実弟の郷さんと結婚しました。その後、ちあきはコロムビアから契約解除されます」(前出・芸能ライター)