八代亜紀「実は、お酒はあまり飲めない」弟分・新田純一が明かす意外な素顔と最期の様子
病室に届けたコーンスープとシウマイ弁当
八代さんは絵描きですから、絵はもちろん一流ですが、字もうまい。平成から令和になった日、八代さんは仕事の後、僕も夕食の場に呼んでくださり、夕食後は八代さんの事務所へ。八代さんのCMのリバイバル放送を見ながら飲んでいたとき、マネジャーさんが「記念だから」と八代さんに色紙を渡し、筆で「令和」と書いてもらったんです。そのうちの1枚を我々にプレゼントしていただいたので、今でも自宅に大切に飾ってあります。
八代さんって本当に優しい。大歌手なのにまったく偉ぶらず、誰に対しても分け隔てせず裏表もない。理不尽なニュースなどに胸を痛めることはありましたが、引きずらない。そういう方でした。
去年9月、八代さんは膠原病で入院。その約1週間前、八代さんの番組「歌の贈りもの」(BS11)の特番の撮影で、一緒に香川ロケに行ったばかりだったのに。結果的にこれが八代さんの最後のロケの仕事になってしまいました。
この時も早朝から移動や撮影で疲れ、翌朝も早いのに、夜の食事会を終えると、プロデューサーやADら10人以上を自分のホテルの部屋に呼んでコンビニで買ったお酒やつまみで大宴会を開いてくれました。「○○くん、ちゃんと飲んでる?」って若い子たちにまで声をかけて。
八代さん、実はお酒はあまり飲めないんですよ。お酢が好きで持ち歩いていろんなものにかけて食べていましたね。1週間前まで、そんないつもと変わらない八代さんだったのに、突然、入院なんてビックリしました。病室への面会は社長やマネジャーなど、ごく一部の人だけ。聡子は入れましたが、僕は入れなかったので、僕は聡子の手助けをしたり、「ムーンラウンジ八代」の留守番(代役)を務めさせていただいたりしました。
八代さんが入院していたのは病院の特別室。入院当初は出された食事を食べ、治療に努めていました。でも、やはり飽きるんでしょうね。八代さんが「コーンスープが飲みたい」と言い始め、本当はいけないのですが、僕が買って持って行くように。病室には聡子が届け、駐車場にいる僕が病室の八代さんと携帯のテレビ電話で話したこともありました。
八代さんは地方公演などで新幹線に乗る時はいつも崎陽軒のシウマイ弁当を食べていたので、11月末には「シウマイ弁当が食べたい」とも。聡子が買って持っていくと普段は小食の八代さんが完食したと。聡子によると翌朝も「お腹がすいた」と目覚めたくらい。
ですから、てっきり回復に向かっていると思っていたんです。テレビでニュースやバラエティー、ゴルフ番組などをご覧になっているほどだと聞いていましたし。
ところが、12月30日に社長さんから「危険な状態なので急いできてください」と連絡が入りました。僕が聡子を車で送り届けたら「新田さんも上がってきてください」と言われ、急いで病室に入りました。ベッドに横たわり目を閉じている八代さんに、みんなで「頑張って」などと口々に声をかけたのですが、かないませんでした……。
翌日の大晦日、みんなで八代さんのご自宅に集まり、八代さんに献杯しました。こんなにあっという間に逝かれるとは思いもしなかったので、もう嘘なのか本当なのかわからない感じでした。そんな思いが何日も続きましたね。
八代さんは生前、聡子に「最後まで私をキレイに見えるようにお願いね」「棺には大好物の焼き芋を入れてね」と冗談交じりで話していたそうです。まさか本当にそうすることになるなんて。
この4月、代役を務めていたラジオ番組「ムーンラウンジ八代」は「八代亜紀さん“想い出通り”」と番組名を変え、八代さんと縁の深いゲストと八代さんの曲を聴きながら、思い出話を語っていただく番組に。歌手・神野美伽さんや元付き人の女優さんらが来てくれて、先日は歌手・日野美歌さんがいらして号泣。僕も一緒に泣いてしまいました。
八代さんの歌って、素晴らしい曲がいっぱいありますよね。僕が一番好きな歌は「花(ブーケ)束」。演歌っぽくない曲で、いじらしい女心を八代さんがかわいらしく歌っている曲です。