格闘技界と芸能界を自在に行き来するノンフィクションの賞獲り男として、細田昌志の快進撃は当分続くのではないか。
最後に余談を。
1994年、ずっと尊敬するスパイク・リー監督にニューヨーク・ブルックリンのオフィスでインタビューしたときの話。お気に入りの日本の映画監督として、彼は黒澤明、小津安二郎、勅使河原宏の3人の名を挙げた。では映画人以外で知っている日本人は?との問いには「オウ。サダハル・オウ」と即答。はて。ぼくの心には疑問の種が残った。「知っている日本人」として迷いなく王貞治の名を挙げたリー監督は、はたして彼の出自までは知っているのだろうか。
王が日本野球界の至宝であることは論を俟たない。だが台湾籍の彼は、早稲田実業高校時代にエース投手として甲子園で大活躍したものの、国体には当時の国籍規定で試合出場できず、入場行進にだけこっそり加わった。ファンにとってはあまりに有名な逸話であろう。幼いころ伝記でこの事実を知って衝撃を受け、憤りをおぼえた元野球少年の自分は、ほかの監督ならともかく、アフリカ系アメリカ人に対する人種差別問題を作品の核に据えつづけてきたスパイク・リーには、王貞治の出自を正確に知ってほしいと思った。
ぼくの説明を聞いたリー監督は「オウは日本人じゃない? チャイニーズだって?」と驚きを隠さなかったが、すぐに「でも日本で生まれ育ったんだろ?」と問いただしてきた。そうですよとぼくが答えると、ポーカーフェイスを取りもどして「王が日本人じゃないとしたら、国民的英雄をひとり失っちゃうようなもんじゃないのか?」と逆質問してきたのだった。
『力道山未亡人』を読んでよみがえった記憶である。