追悼・マキノ正幸さん 渡哲也に誘われ沖縄に…どん底生活経て10歳の安室奈美恵と出会うまで
ナイトクラブ経営を経て1983年4月、沖縄初の芸能スクールを開校。それは俳優の川地民夫から「平尾昌晃が経営する芸能学校が儲かっている」と聞いたのがきっかけ。大いに話題を集めたが、講師に雇っていた元俳優が独立して、生徒を引き抜いていったりして経営は行き詰まり、借金を背負った。
■挨拶に来た安室奈美恵の母親に「この子は絶対にものになる」と言い切る
家を売り、家賃2万5000円の木造アパート暮らし。「何不自由なく暮らしてきましたが、48歳にして初めて味わうどん底」だったそうだ。それでもアクターズスクールを潰す気は毛頭なく、自ら指導もして続けた1987年秋、10歳の安室奈美恵がやって来た。
「見学していただけなのに目に入ってね。小顔で細身だけどバランスのとれた体形。スタジオの隅を歩いていても跳ねるような躍動感がある。(安室の前に才能を見いだしデビューさせた)ギンコと似たオーラを感じました。帰りを追いかけ、授業料なしでレッスンを受けないかと交渉。翌日、母親を連れて来て了承を得ることができました。挨拶に来た母親に『この子は絶対にものになる』と言い切っていた。怪しいと思われたでしょう。奈美恵もプロを目指していたわけでないから気楽な面もあったとはいえ練習になると誰よりも際立っていた。伸び伸びと自然体で踊る。動きに無理がない。見立て通りでした」