【追悼】西田敏行さんは情熱の“全身俳優”…後年は病との闘いとの連続、幾度も引退危機に
福島の風評被害に怒りの声
人情味のある役柄を演じてきた西田さんだが、「その素顔は生まれ持っての熱血漢」と関係者は言っていた。「大船撮影所」閉鎖の際も労組を中心に巻き起こった存続運動に加わったものだ。東日本大震災では、福島の郡山市出身ということもあり、風評被害に遭う福島のスーパーに駆けつけ、キュウリなどをかじって「美しい福島を汚したのは誰だ。東京電力や原発を進めてきた政治家たちに怒りの声を張り上げたい」と目を光らせた。晩年は俳優の仕事でも「次の人へのバトンタッチ」とよく口にしていたそうだ。
1947年生まれ。映画が一番の娯楽だった時代、映画好きの養父母に連れられて邦画、洋画を見まくるうちに「映画俳優になるぞ」と決意し、高校から東京へ。青年座に入団後、「写楽考」の主役に抜擢されて以来、俳優人生を突き進んでいった。芸能リポーターの平野早苗さんはこう言う。
「もう30年以上も昔ですが、京都の太秦撮影所に取材で行った時、たまたま喫茶店でお茶をしていた西田さんが、私たち取材陣を見つけて、手招きをされて『ねぇねぇ、何の取材で来てるの?』と声をかけてくださいました。『大変だね、頑張ってねぇ』とねぎらいの言葉までいただき、なんて優しい方なんだろうと強く感じたことを思い出します。誰にでも分け隔てなく笑顔で対応してくださる人柄が、そのまま役に投影されていたと思います」
同じくリポーターの小柳美江さんは02年公開の映画「陽はまた昇る」の初日、客席で観客と同じように涙を浮かべる西田さんを覚えているという。
「その後のインタビューでは『映画の中の自分の姿を見て感動して泣くなんて初めてなんだよね』とおっしゃって、そこでも泣きながら映画のお話をして下さいました。なんて熱い人なんだろうと、こちらまで気持ちが熱くなったことを覚えています」
亡くなった日も仕事が入っていた西田さん。全身俳優の突然の訃報に、日本中が涙を流している。
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西田敏行さんは2024年1月期のドラマ「さよならマエストロ」(TBS系)に出演していた。●関連記事【もっと読む】西田敏行「さよならマエストロ」で座りっぱなし満身創痍の演技…薬物使用のデマに悩まされた過去…では、体調が優れない中、鬼気迫る演技を見せた本人について伝えている。