大実験の成果は第一線のプレーヤーたちに引き継がれた
シングル「灰とダイヤモンド」(1985年8月8日)③

「沢田研二1980-1985」の自己否定──という前回書いた内容について、いきなり私自身が「自己否定」するわけではないのだが、逆の視点からも考えてみたい。
つまり「沢田研二1980-1985」がもし、「沢田研二1980-1989」になっていたとしたら、さらに「沢田研二19…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,092文字/全文1,233文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】