ナチスの「人体実験」を忘れないための「ヘルシンキ宣言」
今回からは「人体実験」を「臨床試験」と呼ぶことにします。ここには「敗戦」を「終戦」と言い換えるような“目くらまし”という面があり、むしろ「人体実験」と呼んだほうがいいのではという気もします。しかし、それでは誰も実験に参加してくれなくなって、人間を対象とする医学研究そのものを困難…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り542文字/全文682文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】