虚弱体質から日本代表へ 大山加奈さん喘息との付き合い方
当然のことながら、走るのは非常に遅く、何度も“周回遅れ”を経験しました。高地トレーニングでバテてしまって、2~3日練習を休んだこともありました。でも、なぜか試合中には発作は出ないんです。きっと、気が張っているからなんだと思います。
本当はよくないのですが、現役を引退してからは吸入もさぼっています(笑い)。それでも「部屋の掃除は頻繁に」、旅先では「保湿は十分に」を心掛けています。
今、小学生の子供たちにバレーをはじめとしたスポーツの素晴らしさをお話しする機会に恵まれています。そのたびに、「喘息を持っていたけれど、頑張ってオリンピック選手になれたよ」と話すんです。子供たちも共感してくれて、「頑張っていたら、夢をかなえることができるんだ」と思ってくれるようで、うれしいです。
私はバレーに出合って人生が百八十度変わりました。夢中になれるものが見つかると、病気を持っていても元気に過ごせると実感しています。心が体を引っ張っていく――確かに、そんな部分があるんですね。
▽おおやま・かな 1984年、東京都生まれ。幼い頃に才能を見いだされ、成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)では主将としてインターハイ・国体・春高バレーの3冠を達成する。17歳で日本代表に初選出され、2004年にアテネ五輪に出場した。10年6月に現役引退。現在はスポーツ解説者を務めながら、バレーボールの普及・発展に向けて幅広く活動中。