原千晶さん「後悔」 子宮頚がん・子宮体がん闘病を全激白
あの頃の私は間違いだらけだった
「子宮頚がん」に対して、あまりにも無知でした。「子宮体がん」になって事の大きさに気づくなんて、本当にバカだったと今は思います。がんの治療はひとり静かに耐えられるものではなく、泣き叫んだり、人に当たったり、それはそれは情けなく、きれい事では済まないものでした。
子宮頚がんが分かったのは2005年春、30歳の時でした。もともと生理痛は重い方だったのでそういう体質なんだと思い、ずっと痛み止めで乗り切っていました。でも不正出血があったり、おりものが茶色かったり、レバー状の塊があったりして、いつもよりひどくなってきたなとは思っていたんです。
病院に行く決め手になったのは、生理じゃなくても生理の時のような鈍痛があって、時折お腹に突き刺すような一瞬の痛みが走ったことです。友達にも「病院に行ったら?」と言われ、近場のレディースクリニックを受診したのが最初です。
クリニックで「子宮頚部に1センチのできものがある」と指摘され、都内の大学病院で精密検査をした結果、ポリープを確認。その時は「子宮頚がんということはないと思います」と言われ、異物だけを取る円錐切除手術を受けました。入院は5日。その後は生理痛も不正出血もおりものの異常もすべて治って、「やったね」という気持ちでした。