グラウンドに立ちたい…鈴木康友さん骨髄異形成症候群との闘い
入院は18年2月半ば。告知から入院までの約半年間は徳島と東京を往復し、10日に1回ほどのペースで輸血をしながら、できる限りコーチを続けました。
何しろ、移植をしても完治できるのは5割の確率。少しでも長くグラウンドに居たい。胸に込み上げてきたのは「またユニホームを着てグラウンドに戻りたい。40年間、野球をしてきたこの経験や技術を若い指導者に伝えたい、残したい。このままでは死ねない」という思いでした。
医師によると、10人が移植を受けて7人が退院するけれど、2年以内に2人は再発や感染症などで命を落としてしまうそうです。
移植そのものは臍帯血に存在する造血幹細胞を点滴するだけなので、切ったり縫ったりはしません。移植1週間前から抗がん剤による前処置が始まり、徐々に白血球を減らしていき、移植直前に強い薬で完全にゼロにするんです。そして「移植」を受けました。
そこからの3週間が一番きつかった。38度を超える発熱、脱毛、味覚が変わってしまって何もかもまずい。吐き気で何も食べられないから体重も激減して……。ただ、妻がむいてくれるリンゴとバナナだけは味が変わらなかったので、あれには助けられました。