迷うようなことはだいたいどっちでもいい…考え続けることが重要
どうしたらよいか迷うようなことは、だいたいどちらでもいいというのが、私自身のこれまでの経験から言えることだ。さらに言えば、こっちでないと困ると判断したことも、振り返ってみればどっちでもいいということがほとんどだった。大学入試の時、なんとしても合格する、合格するために一生懸命勉強する、という判断をしたが、今から思えば、もっと適当に勉強して、行ける大学へ行って、適当にすればよかったという気持ちもある。そもそも大学に行かなくてもよかったかもしれないと思わないでもない。
ただそんなことを書くと、医者になったからそういうことが言えるのだと言われそうだ。確かにそういう面はある。しかしその医者にしたって、私が医学部に入学した40年以上前は、まったくひどいものだった。大学病院の研修医には給料すら払われず、無給の医局員というのが大勢いた。さらに無給どころか、大学院の授業料を払って、病院の仕事をしている人も珍しくなかった。
■判断や行動で思考を縛ってはいけない
私自身はそれなりの給与をもらって研修していたが、それでも、月の時間外労働が200時間ということもあった。支給される時間外は40時間までだったと記憶している。まるで眠れない当直の翌日もいつものように働いた。下手をするとそのまま次の日の夜まで働き続けるということもあった。それでも何とかやってこられたのは、「医師になることが重要だ」という判断をせずに、なんとなく医師になったからという気もする。よくよく考えた末の判断で医者になっていたとすれば、その期待と現実のギャップに押しつぶされていたかもしれない。