“目の見えない精神科医”が「視力を失っても仕事を続けられる」と勇気づけられた瞬間
目が見えなくなったら辞めなくてはならない…という思い込み
実際に、かつては目が見えなくなった者は医師として欠格であるという法令規定がありました。その名残りもあってか、今でも目が見えなくなった医師の中には、自身に「失格」の烙印を押し、仕事を辞めてしまう人がおられます。
しかし、医療従事者も人間です。誰だって、いつ病気になるか分からないし、いつ事故に遭うか分かりません。そもそも完璧な人間なんていないのですから、医師は完璧でないといけないのなら、この世に1人として、「医師」は存在できないことになります。
ゆいまーるで出会った先生方は、生き生きと仕事に従事されていました。
視力は頼りなくても心は頼もしく、障がいのない先生に負けない「情熱」を持っておられました。その情熱はおそらく〝たまたま〟ではありません。
目が見えない状態で医療の仕事をするというのは、やはり情けない思い、悔しい思いをすることがたくさんあります。また見えていないせいで患者さんに何か害が及んだらどうしようという不安とも常に隣り合わせです。
そんな気持ちがあってもなお、「それでも自分はこの仕事をするんだ」という決意。それは「家が代々医者だから自分も医者をするんだ」なんて動機では不十分、そこには心底からの情熱が不可欠なわけです。
障がいを負ったからこそ情熱が燃え上がる。これも1つのバリアバリューですね。
目が見えなくても、いや、目が見えないからこそ情熱を持って生き生きと働いているゆいまーるの仲間たち。初めて参加した総会でその姿を目の当たりにした時、私の頭から「引退」の文字が消えました。いくつもの勇気と知恵をお土産にいただき、自分にもできることがまだまだあると思えたのです。
「目が見えなくなったら医師は辞めなくてはいけない」
病気を告知された時からずーっとそう思い込んでいた未来が書き換えられた瞬間でした。
引退を考えていた頃からもう、10年以上が経ちました。目は本当に見えなくなってしまいました。それでもゆいまーるの仲間たちと情報交換しながら、あの日授けていただいた勇気と知恵と情熱を胸に、まだ精神科医の仕事を続けられているというのが今の私です。
▽福場将太(ふくば・しょうた)
医療法人風のすずらん会 美唄すずらんクリニック副院長。1980年広島県呉市生まれ。広島大学附属高等学校卒業後、東京医科大学に進学。在学中に、難病指定疾患「網膜色素変性症」を診断され、視力が低下する葛藤の中で医師免許を取得。2006年、現在の「江別すずらん病院」(北海道江別市)の前身である「美唄希望ヶ丘病院」に精神科医として着任。32歳で完全に失明するが、それから10年以上経過した現在も、患者の顔が見えない状態で精神科医として従事。支援する側と支援される側、両方の視点から得た知見を元に、心病む人たちと向き合っている。