吉野作造は大正デモクラシーの代表的論者だった
パリ講和会議のあと、日本社会は、総合的には大正デモクラシーと評される民主主義の波をかぶることになった。これまで語ってきたように近衛文麿の英米本位の世界秩序への異議申し立てもそういう流れに組み込まれるし、中江丑吉のように北京に居を構え、日本の帝国主義と距離を置くように生きる姿も一…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り901文字/全文1,041文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】