「先生の感化教育は死せざる也」中江兆民を畏敬した幸徳秋水
幸徳秋水は中江兆民を畏敬し、かつ知識人、思想家として自らの師として仰いでいる。兆民が亡くなったのは明治34(1901)年12月13日である。幸徳は18歳の時に、同郷の先輩である兆民を紹介されて書生となる。兆民の大阪時代である。この頃兆民は大阪に住んでいた。その理由は簡単である。…
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