大正5年6月の袁世凱の急死が招いた中国の混乱と内戦
袁世凱政府と孫文らの革命派の抗争は大正5(1916)年になって中国各地でより激しくなった。孫文らの同志が各地で反袁の挙兵を行うのだが、これはそれほどの広がりをもたなかった。袁世凱政府の側が国民党の幹部の暗殺やテロで対抗したため、国内事情はなかなか安定という状況にはならなかった。…
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