中国のナショナリズムに火をつけた第1次世界大戦後のパリ講和会議
孫文らの革命派はさまざまな考えや出身地閥のような人脈の乱れもあり、袁世凱政府の後を継いだ段祺瑞政府との間の抗争も思うようには進まなかった。さしあたり孫文がよりどころとした広東政府とて寄り合い世帯だったのである。孫文がこの政府に担がれていると言っても、実際の権力を持つ西南軍閥に依…
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