「午前九時三十分、孫文は静かに逝った」歴史は蒋介石、毛沢東、関東軍将校の時代へ
孫文は中国人の医師のもとで最期を迎えたいと、1925年2月にロックフェラー病院を出ている。3月に入ると意識が薄れ、12日には危篤状態になった。山田純三郎は宋慶齢に呼び出され、最期の場に立ち会って欲しいと言われた。日本人としてただ一人であった。このときの模様について、山田は手記を…
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