摂政宮狙撃事件をきっかけに、国家主義と共産主義に二分されゆく日本
摂政宮狙撃事件の決行者の父親(難波作之進)が国会議員の職を去り、自宅に蟄居して恐懼の意思を示した。ほとんど人と会わず、数年を経ずして亡くなったと伝えられている。
もともとは保守主義の塊のような親子だったといわれるのだが、難波大助は旧制高校を目指して故郷(山口県)から東京…
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