阪神・和田監督の原点…正月休みに蘇った中学時代の思い出
今では信じられない話である。
今年が契約最終年となる和田監督(51)。例年は年末年始も忙しいが、このオフは久々に千葉の実家に戻り、のんびりくつろいだという。その際、数十年ぶりに母校の中学に寄ったそうだ。
和田監督の卒業した千葉県松戸市の常盤平中は野球の強豪校だ。後輩たちは関東大会に何度も駒を進め、全国大会で3位になった実績もある。
OBは習志野や市立船橋、修徳(東京)などに進み甲子園に出場した選手も多い。75年夏の甲子園大会、習志野が小川投手(現ヤクルト監督)を擁して優勝したときも決勝戦でサヨナラヒットを打ったのは同中学のOBだった。
和田監督が中学時代、野球部の監督は大学を出て間もない若い指導者だった。この監督は短気な性格で常識外の鉄拳指導で選手をビシビシ鍛えた。特にひどかったのが、県大会1回戦負けで終わった和田監督の1つ上の先輩たちだった。あるOBが言う。
「あの頃の監督はいつも赤い革の手袋をしてノックをしていた。一番殴られたのは、後に主将になる三塁手です。何発殴られても下を向かないから、格好の殴られ役だった。監督はつまらないエラーをすると手袋をはめたままビンタをする。革の手袋だから痛さは倍増するのです。ビンタならまだいい。ノックバットで、尻というか太もも裏をたたかれるのが最悪です。インパクトでビシッと止める“ケツバット”は、太もも裏がバットの輪郭に赤く腫れる。先輩たちは『トイレに座れない』といつも泣いていた。この監督は他の先生がいようが、保護者が見ていようが平気で殴る。三塁を守っていた殴られ役の先輩なんて月曜日の朝礼の時だったか、全校生徒がいる前でもビンタされたこともある。阪神の監督になった和田さんは声を荒らげたり、手を出したりしないおとなしい指導者といわれている。あの監督を反面教師にしているのでしょう」
選手に怒声をあげても殴っても、野球がうまくなるわけじゃないことを、和田監督は中学時代に学んだということか。