ポゼッション捨て頂点に 手倉森U-23が選んだ「現実路線」
【特別寄稿 サッカージャナリスト・六川亨】
リオ五輪予選決勝の前半、日本の決定機はゼロだった。決勝前日の3位決定戦のイラク―カタール戦は、「勝たなければならない試合」。五輪出場を決めた者同士の日韓戦は、「負けたくない試合」。韓国にしても準決勝のカタール戦で見せた迫力満点の波状攻撃は影を潜め、緩い雰囲気の漂う45分だった。
0―2とリードされた日本は攻撃を活性化するために60分、ボランチのMF大島に代えてFW浅野を投入。韓国は日本をナメていたのだろう。俊足の浅野を警戒することなく、DF陣の背後に広大なスペースを用意してくれた。そこを突いて67分に浅野が1点を返し、続けざまにMF矢島がヘッドで同点弾を決める。そして81分にカウンターから、またも浅野が抜け出して決勝点を決めた。
ここまでノーゴールだった浅野は「ジョーカーは自分しかいない」と心中期するものがあり、同点弾の矢島は「起用し続けてくれた手倉森監督の期待に応えたい」という強い思いがあった。
手倉森監督は「2人を“我慢”して起用した」ことで、潜在能力を引き出した。1次リーグから選手起用がズバリ的中し、そのたびにチームに一体感が熟成されていった。