西武・大崎も投げ飛ばされた 横綱稀勢の里の野球少年時代
3月場所を「第72代横綱」として迎える稀勢の里(30)。昨26日は田子ノ浦部屋で綱打ちが行われ、同じ二所ノ関一門の芝田山親方(元横綱大乃国)から土俵入りを指導された。日本出身力士としては19年ぶりに誕生した新横綱の素顔を探った。
後に稀勢の里を名乗る、萩原寛が産声を上げたのは兵庫県芦屋市。幼少期に茨城県南部の龍ケ崎市に引っ越し、中学卒業後に鳴戸部屋へ入門するまで、この町で少年時代を過ごした。牛久沼で知られる龍ケ崎市は、上野駅からJR常磐線で約50分。地名には諸説あり、「竜巻が多い土地柄なので、川の水を巻き上げる様が竜に似ている」などといわれている。
当時、稀勢の里が熱中していたのは相撲ではなく、野球。所属していた少年野球チーム「龍ケ崎ハリケーンズ」の岩瀬正和総監督は「コツコツやる努力家でした」と、こう話す。
「派手さはないけど負けず嫌い。一つ一つの練習をじっくりこなすタイプでした。ウチでは捕手で4番。わがチームから初めてプロ野球選手になる子が出てきたと思いましたよ。パワーは申し分ないし、熱心でした。配球も守備に就く前にわれわれ指導者に確認しにくるほど。ただ、長距離走は苦手でした。体が大きいので、だんだん遅れてくる。私が後ろからお尻を叩いて叱咤激励したこともあります」