なぜ帝京(東京)コーチ辞任? 帝京第五の小林監督に聞く
「ウチは生徒数が少ないですからね。何とか生徒を確保するためには、学校を宣伝する必要がある。てっとり早いのがスポーツ、それも野球だろう、と。昔からウチは野球に力を入れていた。そこで私が選ばれたのではないかと。帝京では野球部のコーチを辞めた後、バスケットボール部やダンス部の顧問をしていたんですが」
――ダンスも教えていたのですか?
「バスケットもダンスも教えられません(苦笑い)。校長や教頭から『ダンス同好会というものがあるが、なかなか顧問がつかない。小林先生なら適任だろう』と言われたんです。当時はまだ同好会。いい加減な態度の会員が多く、顧問も長続きしない。だから私は顧問就任後、同好会の会則を作って、会員に『何で顧問がつかないかわかってるか? 君らが教員の間でどう思われてるのか知ってるのか?』と、彼らに全部説明した。そこで『部に昇格すれば、今は自腹で買っている衣装代も補助費で賄えるぞ』と言ったんです」
――その結果は?
「もちろん大会などで結果を出したわけではありませんが、1年後の文化祭のダンスが大盛況。私は学校側に『彼らも変わった。何とか部にしてやれないか』と掛け合った。その結果、部に昇格することができたんです。そうした経緯もあるから、今回も帝京第五の監督に選ばれたのかもしれません。野球でもそうですが、グラウンドの中で一生懸命やるのは当たり前なんです。大事なのはそれ以外の日常生活。そこがいい加減だと、必ず競技にも影響しますから」