大学時代の苦い経験…僕が必ずリストバンド着けていた理由
「よし、自分もプロに行ってやるぞ」と高いモチベーションで野球をやれましたし、上を目指すきっかけをつくってくれました。
すでに書いた青木宣親さん、鳥谷敬さんはもちろん、2学年上の和田毅さん(ソフトバンク)は、外野のフェンス沿いを長い時間をかけて黙々と走り続けていた姿が印象に残っています。汗びっしょりになって、両翼間を何度も往復していました。
上の世界を目指して体づくりをしたり、投手ながらも打撃練習も手を抜くことなく取り組んでいました。4年時には、52年ぶりとなる春夏連覇を達成。エースとしてチームを引っ張る姿にも、大いに刺激を受けました。
大学時代の恩師である野村徹監督からは、野球に取り組む姿勢を学びました。野村徹監督は指導において強制、強要をすることなく、自主性を重視していました。自主練習の時間を大事にしていて、常々、「自分の課題を見つけて、それにしっかり向き合いなさい」と話していました。
大学4年秋のリーグ戦の初戦。僕はその初打席で左手首に死球を受けました。痛みが治まらず、病院で検査した結果、骨折が判明しました。