2000安打達成で「次は3000本を」憧れの鳥谷敬さんへの言葉
阪神の鳥谷敬さんは大学の1年先輩。大学ナンバーワンの遊撃手といわれ、憧れの存在だった鳥谷先輩と二遊間を組んだ大学時代の3年間は、かけがえのない時間です。
僕が大学3年だった2003年夏、青木宣親さん(ヤクルト)たちと一緒に、日米大学野球選手権の代表メンバーに選ばれ、アメリカで試合をしました。ニューヨーク5番街で一緒に買い物したことが懐かしいです。
鳥谷さんは阪神へ入団し、僕はその1年後にヤクルトへ。大学の先輩といえども、あくまで同一リーグの敵チームの選手だという意識は常に持っていました。
鳥谷さんはプロ1年目の04年9月から今年5月までの約14年間、1939試合に連続出場しました。
昨年、顔に死球を受けた際に鼻を骨折したと聞きましたが、その翌日にはもう、プロテクターをつけて試合に出ていました。もしかしたら、選手生命にかかわるかもしれない……。そのときばかりは、さすがに休んでもいいのではないかと心配しましたが、遊撃手としてスタートしたプロ生活で、三塁、二塁とポジションを変えながらも、一日も休まずグラウンドに立ち続けました。