照強翔輝は根性の人 学校サボっても相撲道場には通い続け
伊勢ケ浜部屋・前頭16枚目
多彩な技を持つが、だからといって「業師」というと、ちょっと違う。炎鵬に次いで、幕内で2番目の軽量力士。幕下で長く過ごし、今年3月場所で新入幕を果たした。
「猫だましや足とりなど、勝つためには何でも仕掛けてやろう、という相撲です。大柄な突き押し力士を相手にした場合は、立ち合いの突きを低い体勢で空振らせ、足を取って一気に土俵外に持っていくこともある。四つ相撲も押し相撲も何でもござれ。こう言うと奇策に頼った小兵力士に思えるが、基本は前に前に出ようという意識が強い。相撲の引き出しを増やすことで、相手に『何かやってくるのでは……?』と警戒させ、その隙に速攻で攻めるのを目的にしている。師匠にも常々、『正攻法の相撲でいけ』と言われていますからね」(相撲記者)
過去には自分より50キロ近く重い、力自慢の大砂嵐を2度、吊り出した経験もある。小兵だからといって、技だけの力士と思ったら痛い目を見る。
阪神・淡路大震災が発生した当日夜、淡路島で産声を上げた。幼少期は病弱だったものの、小学校4年生のときに相撲に出合い、熱中。中学時代は学校をたびたびサボるようになり、金髪に染め、夜遊びを繰り返した。中学3年時は年間の登校日がたったの30日。そんな不良でも、相撲道場にだけは休まず通い続けたというのだから、負けん気の塊のような力士だ。中学卒業後は、当然のように大相撲の門を叩いた。