オグシオペアの試合を見てダブルス転向を決意「五輪を目指すなら令佳と一緒に」
07年6月の国別対抗戦スディルマンカップ(英グラスゴー)。当時の日本はまだ今ほど強豪ではなく、国別のランキングでは2部でした。その2部決勝でシンガポールペアを2―1で下したオグシオペアの快進撃もあり、91年以来16年ぶりの1部復帰を果たしたのです。
女子シングルスの若手として出場していた私は2人の試合を見て、「ひょっとしたらダブルスなら世界で戦えるかもしれないな」と思ったのです。何も根拠はなかったのですが、私がシングルスで戦うには絶対的にフィジカルが足りなかった。海外勢に比べて上背(160センチ)がないし、体力もない。世界を相手にするにはフィジカルを強化する必要がありますが、つらい思いをしてまでシングルスで勝ちたいというモチベーションや根性がなかった。互いをカバーし合うオグシオペアの試合運びを見て、「ダブルスならコートは2人で半分ずつになるので、もしかしたらやれるのかな」という考えに至ったのです。
時を同じくして、令佳が高校卒業後の進路で悩んでいると聞きました。令佳とは私が中2の時、全中(全国中学生大会)のシングルスで対戦して以来、お互いの連絡先を交換してメールし合う間柄でした。高校で初めてダブルスを組んだ時は、互いのラケットがぶつかることもなく、コート内でのリズム感も合っていました。2人で組んだインターハイで優勝していたこともあり、「もし、私と五輪を目指したいと思ってくれるのであれば、一緒にダブルスで頑張ろう」と思いを伝えました。
実業団で再びペアを組むことになりましたが、令佳とは衝突の繰り返しでした。 (つづく)