酷暑の東京五輪を「温暖な気候」にした“真犯人”…体感情報を伝えられるのは競技経験者だけ
大坂なおみの聖火点火で始まったオリンピックも終盤を迎え、テニスはいつの間にか終わった。全豪、全仏、ウィンブルドンと勝ち、男子初のゴールデンスラムを狙ったノバク・ジョコビッチは準決勝で敗れた。3位決定戦も負けてラケットを破壊、ミックスダブルスは棄権、祖国にメダルを持ち帰れなかった。セルビアにはこれといった有力種目がない。ウィンブルドン後に不参加をほのめかしながら、国民の期待を引き受けた背景には計算違いがあったと思う――東京の暑さの質だ。
テニスは炎天下で2時間前後の試合を最大6試合も戦うだけに、暑さは誰もが警戒していた。ただ、全豪が行われるメルボルンでは気温40度を超して焼けるような暑さの日がある。東京で気温が40度に達することはまずない。それでもジョコビッチは1回戦後に対策を求め、メドベージェフは「死んだら誰が責任を取る」と訴え、午前11時の開始時間が午後3時に改められた。
バルセロナ大会も日中の気温は40度まで上がったが、夜には薄手のカーディガンを羽織ったものだ。東京の夏の特徴は蒸し暑さで夜も暑い。体感情報は数字や言葉では伝わらない。そこに、テニスの思惑違いが出た。