元阪神・鳥谷敬さんの人生を変えた病に苦しむ弟の姿「どんなことにも終わりがある」覚悟でプロの道へ
阪神を辞める時も「その時が来たんだな」と淡々と受け止めた
どんなことにも終わりがあることを常に心づもりをしておくようになったのも、この時からです。
だから、大学を卒業して16年間プレーした阪神に突然、クビを言い渡された時も、悲しいとか残念とかは思わなくて、「あっ、阪神を辞める時が来たんだな」と淡々と受け止めました。
ロッテに移籍後、40歳で引退した時も、プロになった時から抱いていた「40歳までショートを守る」という目標を達成できたので、「もう終えよう」と自分で決めて引退しました。引退試合をしたいという気持ちも、心残りもなくスパッと辞めることができました。
引退後の人生については去年引退したばかりなので、まだ具体的に何歳までにコレ、という次の目標は定まっていませんが、そういう目標を持とうと意識しています。
2、3年は次の目標を探す準備期間と位置づけ、野球を教えることが自分に合っているか探ったり、野球以外のスポーツをしたり、企業の方とお会いしたり。新しいことに挑戦しながら、いろんな可能性が広がっていると感じています。
■スケジュールを自分で管理する今は最高!
小学生の頃からずっと続けてきた野球選手としての第一線を離れ楽になりましたね。これまではずっと自分のスケジュールを管理される生活でした。いつからいつまでキャンプで、試合の日、オフの日、試合の時間、球場入りの時間……。年間や一日の予定はすべて決められ、その中で生きていました。それが今は自分に選択権があって、自分で動かせるのですから最高です。
現役時代は常に野球のことだけを考えていました。試合中の3時間だけではなく、トレーニングの時はもちろん、食事も起床・就寝時間も、入浴も。今はそれを考えなくていい。飲み過ぎても寝不足になっても大丈夫。めちゃくちゃ楽だなと思います。
ちなみに弟は、その後病を克服し、ボディービルダーとして活躍しています。今はトレーナーになり、結婚し、家族にも恵まれています。
たまに帰省した時に一緒にご飯を食べたりするけど、当時のことを話したことはありません。もし「おまえの病気があって人生変わった」なんて話したら、「何言ってんの?」と照れるでしょうね(笑)。
(聞き手=中野裕子)
▽鳥谷敬(とりたに・たかし) 1981年、東京都生まれ。聖望学園高校、早稲田大学を経て、2004年阪神タイガース入団。20年千葉ロッテマリーンズ移籍。21年に引退し、野球解説者に。22年11月、プロで培った心身のトレーニング本「疲れない体と不屈のメンタル」(PHP研究所)を出版。