清本美波プロテスト単独首位合格までの二人三脚…キャディーの父が明かす「嬉しさと寂しさ」
宗健さんは泣く泣くサーフィンへの思いを断ち切り、ゴルフに舵を切った。しかし、ゴルフスクールに通わせようにも、その費用はバカにならない。今では娘はプロになり、父はキャディーを務めているが、原点は「節約のため」と二人三脚で踏み出した一歩だった。
「ゴルフはお金をかければ青天井ですからね。自宅近所の練習場は子供の打ち放題が500円程度だったから、できる限り僕が教えることにしたんです。本やユーチューブで勉強して、美波の大会で見つけた上手な選手のご両親に話しかけて練習法を尋ねたことも。そうやって学んだことを『これはどう?』と美波と確認しながらやっていました」(宗健さん)
2人だけでは限界もある。小学校の低学年を過ぎると月に1、2回は自宅から車で15キロほどの距離にあるニッケゴルフ倶楽部岐阜センターに通い、プロに指導を仰ぐようになった。
当初から清本の指導を担当しているコーチの太田伸吾氏が言う。
「ウチに来たばかりの時はプロになるとは想像していませんでした。学年が上がるにつれてどんどん上達して、またたく間に同世代の子たちを追い抜いていったのです。あの子は努力ができる。『ここを直した方がいいよ』というと、スクールの時間内にはムリでも、次に会うまでには必ず修正してきました。ほとんど毎日、練習場に通っていたそうです。時には、練習前にお父さんに叱られたのか、泣きながらクラブを振っていたことも(笑)。不思議と泣いていても集中力が乱れず、パフォーマンスに影響が出ることはなかったのが印象深いです」