千葉マリンスタジアム「第1号」で賞金50万円をゲット、第2号は巨人・原さんのド派手な満塁弾
私がロッテに入団したのは89年のこと。この年から「平成」の時代に突入していた。まさに「昭和」最後のドラフトでプロの世界に飛び込み、入団2年目の90年、新球場開場となる巨人とのオープン戦が行われた。
当時、ロッテが川崎から千葉へ本拠地を移すのではないかという噂はあった。それでもこの時は「ここが将来のホーム球場になる」とは思わなかった。まだ半信半疑だったのだ。
試合前から球場第1号ホームランを打てば賞金が出ると聞いていた。いざ入ってみると、川崎球場よりかなり広い。フェンスは高いし、今のようにホームランラグーンもない。とても本塁打なんて出ないんじゃないかと感じた。そんな無欲さが良かったのか、巨人の宮本和知さんから最初のホームランを打つことができた。その後、原辰徳さんが球場第2号となるド派手な満塁弾を放った。それでも1号は私。賞金「50万円」をゲットした。
翌91年に正式に千葉移転が決まり、チーム名も千葉ロッテマリーンズに変更となった。川崎球場はガラガラだったので、千葉へ行ったらお客さんに来て欲しいという期待が大きかった。
フタを開けてみたら、マリンスタジアムのライトスタンドをファンが埋め尽くしてくれた。やはり、プロ野球選手はお客さんに見てもらってナンボ。移転してよかったと思った。ただ、海沿いの新球場の「名物」というより「魔物」に、私は最後まで苦しめられることになる。