大谷にとって打者専念は「非日常」…投げない=負担軽減とはいかない複雑事情
投手をやりながら野手としても試合に出続けることが本人にとっての日常だとすれば、プロに入って当たり前のように二刀流に取り組んだのも納得がいく。投げて打つのが日常なのだから、手術明けで打者しかできないのは非日常。「ひとつだけやるのは良くない」という栗山氏の発言も説得力が出てくる。
大谷はメジャー1年目の2018年オフ、トミー・ジョン手術を受けた。打者に専念するしかなかった翌19年は試合数も打数も前年を上回りながら(試合数は104から106、打数は326から384)、本塁打は22本から18本に減少した。
大谷は通常、投手と打者、両方の役割をこなしている。グラウンドでプレーする時間、日頃の練習量、肉体的な負担は他の選手の比ではないはず。打者専念なら、投手のために費やす労力をそっくり打つ方に注ぎ込めると思いたくもなるが、そんな単純なものではないようなのだ。
ましてドジャースは山ほどカネを使って選手をかき集め、地区優勝や12年連続のプレーオフ進出はもちろん、世界一が当然という位置付けだ。その大補強の象徴がオフに1000億円契約を結んだ大谷だ。打者専念の今季は本塁打王どころか、三冠王も視界に入れているだろうという視線を浴びながらプレーすることになる。いくら「ユニコーン」でも、「余計なこと」を考えてしまう可能性は十分にある。