協約違反で契約無効になった小島弘務を巡る根本陸夫流「親分の後始末」
小島は春野キャンプを終えて羽田空港に到着するや、無数のフラッシュを浴びた。コミッショナーは契約を無効にしたうえ、西武に制裁金を科し、以後の小島との再契約も禁じる裁定を下した。
「僕はあくまで駒大中退と認識していたのですが、住金は社会人野球を統括する日本野球連盟に『駒大中退』ではなく『平安高卒』と提出していた。大学中退なら社会人に2年在籍すればプロ入りできますが、高卒は3年が必要。小島の入社時期は新年度の4月ではなく、前倒しで入社していましたが、いずれにせよ、数カ月ほど高卒3年の要件を満たしていませんでした。私は大学中退と思い込み、住金の連盟提出書類を見落としていたのです。小島にはとにかく頭を下げるしかありませんでした」
小島は西武のユニホームに袖を通し、練習試合とはいえ試合で投げた。それが一転、入団契約が無効となり、再び浪人生活を強いられた。
そんな中、小島のフォローに務めたのが、鈴木の上司であった根本陸夫管理部長だ。
「根本さんはその年のドラフトまで、小島の面倒を見てくれました。小島は会社を辞めてウチに来てくれた。なのに、浪人を強いられ、西武とは契約できなくなってしまった。すると根本さんは『会社を辞めてウチに来たんだから、ウチの責任で面倒を見る』と日本野球機構に直談判。小島の契約金と年俸を保証し、所沢の自宅に下宿させた。近くの学校のグラウンドを借りて小島の投球フォームを指導し、その年のドラフトで中日の星野仙一監督(当時)に小島を指名するよう掛け合ってくれました」
こうして小島は90年ドラフト1位で中日に入団するに至った。鈴木は後に、小島が名古屋で開いた焼き肉店に足を運んでいる。