日本のスポーツ界は変化への「体感情報」を持った人材が圧倒的に少ない
スポーツは審判がいなければ成立しない。国際審判員なしに記録は公認されない一方、あらゆる競技で日本の国際審判員は極めて少ない。複数の審判員が立ち会う競歩が典型だが、テニスもバドミントンも、国際審判員を招いて試合を成立させる。不在の理由はコミュニケーション力だという。英語力? ただし、規則を作るのは審判ではない。競技団体の国際組織に日本の理事がいない、いても機能していないなら、語学力の話ではなくなる。とりあえず、2人の顔が浮かぶ。
国際テニス連盟の副会長として88年ソウルでテニスの五輪復帰に貢献した故・川廷栄一、不可能と言われた東京マラソンを実現させた現財団理事長の早野忠昭。この2人は会議で相手の意見を聞き、自分の考えを述べることができた。いまはテレビ会議だ。失礼ながら、ずばぬけて流暢な英語とは思わないが、ともに元アスリートで、片やカメラマン、片やビジネスマンとして、フリーランスの立場で現場経験を積み人脈を得たーー彼らのように(スポーツの)変化への体感情報を持った人材が圧倒的に少ないのだ。
選手の技量が向上すればなお不満は募り、裾野では不毛な誹謗中傷が飛び交う。選手も、国に戻れば下にも置かぬタレント扱いに悪い気はしないようだ。仕方ないと言うしかない。