《小久保監督 #1》球団に異例の直談判…入団早々にチームのルールを変えさせた練習の虫
これはおそらく、先輩で後に監督も務めた秋山幸二さんの影響も大きいでしょう。西武時代は「レギュラーが休むなんてありえない」という雰囲気があったらしく、秋山さんが腰痛でトレーナー室にいたら、石毛宏典さんが入ってきて、ぼそっとひと言、「休まないよな?」と言われたとか。そんな話を小久保も秋山さんから聞いていたのでしょう。
自分に厳しい小久保でしたが、他人にも厳しい。チームのためには平気で悪役になれるタイプです。全力疾走しなかった若手を試合後、ベンチ裏に呼んで、「おまえ、なんで全力で走らなかったんだ?」と説教する姿を見たこともあります。小久保としても言いたくはなかったのでしょうけど、チームのために誰かが言わなくてはいけない。その役目を買って出た。
僕は86年に南海(現ソフトバンク)に入団。現役引退後は打撃投手や広報、マネジャーなどをし、昨年までホークスのお世話になっていました。この連載ではソフトバンクからダイエー、そして南海とさまざまなホークスの選手たちの話をしていこうと思っています。次回は指導者としての小久保監督の素顔についてお話しします。