《スチュワート・ジュニアの巻》時間と共に解きほぐれた米ドラフト1巡目のプライド
英語での会話はスチュワートにとってもストレス解消になったはず。来日したばかりの彼は、ひと言で言えば「プライドの塊」。日本語は当然わからず、かといって覚える気もない。食事もカレー、チキン、ハンバーガーと高カロリーのものばかりで、日本食を口にしようともしない。どこか、「俺はメジャーのドラ1だ」という強すぎる自負が感じられました。
しかし、19歳で知らない国のリーグに単身で入団してきたのです。同情の余地は十分にありました。
当時、守護神だったサファテに「日本でプレーするなら、日本の環境に慣れた方がいい」とアドバイスされ、徐々に徐々に環境に慣れ始め、成績も上がっていきました。
日本語を自分から話すようになったのも、一軍デビューした21年あたりからです。
ある時、日本人の女性記者とスチュワートが日本語でしゃべっていたので、近くにいた通訳に「会話、成り立ってる?」と聞くと、「成り立ってます」。そこで2人の会話が終わるなり、「スチュワート、俺とも日本語でしゃべろうや」と絡んだこともあります。