「鄙への思い」田中優子著、石山貴美子写真
■鄙と都との構造的問題に向かい合う
東日本大震災で浮き彫りになった「鄙(ひな)」(都市部から離れた「いなか」)と「都」の関係を見つめるフォトエッセー。
水俣事件と深くかかわってきた渡辺京二氏が講演会で発した「人間は土地に結びついている。土地に印をつけて生きている存在である。人間は死んだ人間の思いとつながって生きている」との言葉を心に刻んだ著者が引き込まれた一枚の写真。それは、山あいに美しく整えられ、田植えを待つばかりの田んぼの風景だった。何代にもわたって営々と続けられてきたであろうその田んぼを3基の墓が見守り、墓石には花が供えられている。
その写真を手にして著者は「見守り、見守られる関係として、あらゆる死者とつながって生きるのが、鄙の生き方」であろうとつづる。
元来、鄙は生産の場所であり、江戸時代は消費するだけの者や消費物を動かすだけの商人は価値が低い存在だと考えられていた。しかし、原発事故で福島が、生きることも困難な、再生することすら難しい地域になってしまったのはなぜか? 原因は、地震と津波ではなく、鄙が都の犠牲となることをあらかじめ位置づけられていたからではないかと問う。