「悪い言語 哲学入門」 和泉悠著

公開日: 更新日:

 先のアカデミー賞授賞式で、主演男優賞を受賞したウィル・スミスが妻の髪形をジョークにされたことに怒って、プレゼンターのクリス・ロックを平手打ちにしたことが話題となった。本書にはショーペンハウアーの「騎士の名誉」という論議が紹介されている。ヨーロッパ中世の騎士は、自らに対する悪口はその内容の真偽はどうであれ、他人が見ている前でどう評価されたが重要で、侮辱された場合には拳でやり返して名誉を守らなければならない、と。ウィル・スミスはまさにこの「騎士の名誉」を拳で実践したわけである。

 本書は、そうした悪口について、哲学を通じて考え、それによって言語哲学における概念や道具立てを学ぼうというもの。「悪口とは何か。悪口はなぜ悪いのか」と問われると、これが難しい。一般的には、悪口は「人を傷つけることば」で、そのために悪いということになるだろう。しかし、「あんたバカぁ?」という言葉は、言っている人と言われている人との関係やそれが発された状況によって、人を傷つける場合も親しみを込めた呼びかけにもなることがある。そのように、悪口とそれ以外のものの境目は案外に曖昧だ。

 ただし、注意すべきはオンライン上で取り上げられている「主語が大きい」表現(「××人は~、女は~」といった総称文)だと著者は言う。そこには個人的な見解を集団の創意として提示したり、1人にだけしか当てはまらない事実を、大きな集団全体に当てはまるものとして述べる危険性をはらんでいるからだ。実際、ヘイトスピーチではよくこの論法が使われ、曖昧な総称文をもって集団と集団をランク付けしていく。そうすることによって差別的制度や慣習が正当化されてしまう。

 現今のロシアのウクライナ侵攻においても、根拠のない総称文が横行し、戦争の泥沼化を招いていることは、重く受け止めなければならないだろう。 <狸>

(筑摩書房 924円)

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    無教養キムタクまたも露呈…ラジオで「故・西田敏行さんは虹の橋を渡った」と発言し物議

  2. 2

    キムタクと9年近く交際も破局…通称“かおりん”を直撃すると

  3. 3

    吉川ひなのだけじゃない! カネ、洗脳…芸能界“毒親”伝説

  4. 4

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  5. 5

    竹内結子さん急死 ロケ現場で訃報を聞いたキムタクの慟哭

  1. 6

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 7

    木村拓哉"失言3連発"で「地上波から消滅」危機…スポンサーがヒヤヒヤする危なっかしい言動

  3. 8

    Rソックス3A上沢直之に巨人が食いつく…本人はメジャー挑戦続行を明言せず

  4. 9

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 10

    立花孝志氏『家から出てこいよ』演説にソックリと指摘…大阪市長時代の橋下徹氏「TM演説」の中身と顛末