「オーウェルの薔薇」レベッカ・ソルニット著 川端康雄、ハーン小路恭子訳
「1936年春のこと、1人の作家が薔薇を植えた」という印象的なフレーズで始まる。「作家」とはジョージ・オーウェル。そう、トランプ政権の誕生、パンデミックの襲来、ロシアのウクライナ侵攻といった不可測な事態が次々に起きている現在、ディストピア小説の傑作として再び評価が高まっている「1984年」の作者だ。同作で描かれた全体主義的な管理社会を表すオーウェル的(Orwellian)という形容詞まである。
本書は「薔薇」をキーワードに、非人間的な管理社会に異を唱える社会派作家という人口に膾炙したイメージとは別のオーウェル像を浮き彫りにしたもの。
1936年4月、オーウェルは英国南東部のウォリントン村に転居、6月にはアイリーン・オショーネシーと結婚。この地で庭造りに精を出し、薔薇の苗木を植えている。
その年末にはスペイン内戦の義勇軍に参加し、その体験を描いたのが「カタロニア讃歌」だ。転居前には英国北部の貧困地域を取材してルポルタージュを書いているオーウェルにとって、ウォリントンでの妻との生活は心安らぐひとときだったのだろう。そこで真っ先にやったのが薔薇の苗木を植えることだった。
しかし、それは単なる趣味ではなく、オーウェルにとって薔薇とは、「プライバシーと自主独立とともに花開く一種の自由を意味する」ものだった。
評伝のような構えをとってはいるが、《薔薇、メキシコ》という写真で有名な写真家ティナ・モドッティの足跡をたどったかと思うと、一転してコロンビアの薔薇工場に潜入してルポを書いたり、著者はオーウェルから離れて自在に筆を動かしていく。そうやって著者に引き回されながらも最後に「1984年」に行き着くのだが、同作品のそこかしこに「薔薇」があることを示され、同じ作品が違って見えてくる。
険しい登山の末に頂上から素晴らしい眺めを見たような爽快さだ。 <狸>
(岩波書店 3630円)