「点写真で見る東京今昔」鷹野晃著
「点写真で見る東京今昔」鷹野晃著
久しぶりに訪ねた場所で、その変貌ぶりに驚かされることがままある。特にスクラップ・アンド・ビルドが激しい東京ではなおさらだ。
ピカピカに生まれ変わった街並みを前にして、以前の様子を思い浮かべるのだが、なかなか思い出すことができない。誰にもそんな経験があることだろう。
一方でたった1枚の写真が、その場所の在りし日の姿から当時の街の活気や流行、喧噪まで、蘇らせてくれることがある。
本書は、古くは東京がまだ江戸だった安政6(1859)年に北区王子で撮影された古写真に始まり1988年の江東区若洲まで、都内各所で撮影された写真に、同じアングルで撮影した現代の写真を並べて紹介するフォトブック。
明治初(1868)年ごろに撮影された神田川にかかる昌平橋。木製の橋は、水害に備えてか橋桁の高さがあり、その橋を背景に川べりに係留された舟の前で船頭たちが記念写真に納まっている。
現代の昌平橋は、橋の上を交差するJRの鉄橋をひっきりなしに電車が行き交い、周囲はビルに囲まれて往時の面影はまったくない。
しかし、現代の昌平橋も実は年代モノ。大正12(1923)年、完成の数カ月後に起きた関東大震災にも耐えた100年選手で、神田川に架かる最初の鉄筋コンクリート製のアーチ橋なのだとか。
東京は江戸の頃から水害に悩まされてきた土地でもある。明治43(1910)年の写真には、荒川の氾濫で避難した住民たちであふれる両国国技館が写っている。
その両国国技館の跡地に立つ商業施設の敷地内には、かつて土俵があった場所が大きな円で示されている。
大正12年の上野広小路では、百貨店や洋館などの周りを日傘を差して散策する人々などが写っている。関東大震災の3時間後に同じ場所で撮影された写真は、上野公園へと向かう避難者であふれかえり、その緊迫感が伝わってくる。
昭和7(1932)年、日本橋のデパート「白木屋」が火事で炎上するリアルな写真もある。
多くの被害者が出たこの火災は、日本初の高層建築火災だったそうで、その跡地には今、「コレド日本橋」がそびえている。
また戦時中の昭和17(1942)年、銀座4丁目で撮られた写真では、市電もバスも止まり、人々も一斉に動きを止め皇居に向かって頭を垂れている。開戦の詔勅を忘れぬよう毎月8日を大詔奉戴日として、正午に1分間の黙祷が行われていたそうだ。
昭和20(1945)年、同じ銀座4丁目交差点で撮影された写真には、空襲で投下された爆弾が道路を突き破り地下鉄構内で爆発した後の惨状が写る。
その焼け跡から復興していく様子も多くの写真で活写。昭和39(1964)年の東京オリンピック開催を翌年に控え、急ピッチで工事が進む首都高速の工事現場を撮影した渋谷駅周辺の写真もある。
祖父母や両親が生きた時代から自分の若かったころまで、東京の変遷を451枚の写真でたどる。
(光文社 1870円)