「東京ハイダウェイ」古内一絵氏
「東京ハイダウェイ」古内一絵氏
ある日の昼休憩、電子商取引企業「パラウェイ」の若手社員・矢作桐人は、同期のエース・直也と衝突。「馬鹿正直、効率が悪い」と仕事の進め方を揶揄され、呆然としてオフィス街で立ちすくんでしまう。そこに、たまたま同期の璃子が通りすがり、颯爽と歩く姿に誘われるように後を追っていくと、彼女が入っていったのはプラネタリウムだった……。
「2人が入っていったのは『港区立みなと科学館』。実はこれ、虎ノ門に実在する施設なんです。プライベートで行ったときに“おひるのプラネタリウム 無料・予約不要”と書いてあるポスターを見つけて。後日訪れてみると、ビジネスマンらしいスーツ姿の男女が横たわっている。まさに、コンクリートジャングルに現れた静謐なオアシス。これは絶対に小説になると思って、“ハイダウェイ(隠れ家)”を今作のテーマに決めたんです」
毎日施設に通う璃子は「プラネタリウムで寝ると、会いたい人に会えるんだよ」と言う。その言葉を聞いた桐人は、心の中で塞ぎ込んでいた家族との過去を思い出す。ある日のプログラム中、夢うつつの桐人の頭の中に現れたのは亡き父親。閉じ込めていた本音があふれ出す。
舞台はコロナ禍の東京。本書は、「パラウェイ」の社員の人間模様を中心に、それぞれが抱える心のすさみと、それを癒やす“隠れ家”を描いた6話の連作短編集だ。
建築、音楽、美術のフルコースで丸1日300円
「『東京はお金がないと楽しめない街だ』という言葉をよく耳にしますが、実際にはその逆。物語での璃子の休日の過ごし方は、『国際子ども図書館』で建築を堪能した後に公園でお弁当を食べ、『旧東京音楽学校奏楽堂』でコンサートを観賞し、さらに東京芸術大学美術館へという上野のフルコース。この充実ぶりでも、費用は300円ほどなんです。現役世代の疲れている人たちに向けて、とっておきの“隠れ家”を盛り込みました」
そのほか10カ所あまりの“隠れ家”が登場するが、著者自身、会社員時代は「余裕がなくて気付けなかった」と振り返る。
「事前取材では『隠れ家について』のアンケートとインタビューを行いました。そこで分かったのは、各世代の悩みの共通点は“本音と建前の矛盾”ということです。たとえば、物語で桐人が抱える『勝敗や出世にこだわりたくはないが、誰かには認められたい』というような承認欲求。働き方も生き方も多様性が認められている今だからこそ、多様性の“建前”に、制度も精神も追いつかない部分がある。それが現代の悩みなんですね」
ロスジェネ世代の恵理子は、キャリアと育児の二重苦に悩んだ末に会社を1日サボったことで見つけた「第五福竜丸展示館」で、とある決心をする。また、バブル世代の光彦は、変わりゆく世の中の流れのなかで自分の役割を見失うが、「しながわ水族館」のクラゲに背中を押されて大胆な行動に出る。どの読者にも自分自身を代弁していると感じる登場人物がいるだろう。
「立派な建前に対して世の中の実態はままならないけれど、絶望はしたくないですよね。むしろ、すべての矛盾を解決する必要はなくて、引きずりながらでもいいから一歩ずつ前進していけたらと思うんです。そのために、日常から切り離されて心理的に解放される“隠れ家”が必要な時代なんじゃないでしょうか。一風変わった東京ガイドだと思って読んでもらえたらうれしいです」
(集英社 1980円)
▽古内一絵(ふるうち・かずえ)東京都生まれ。映画会社勤務を経て、「銀色のマーメイド」で第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞、2011年にデビュー。著書に「マカン・マラン」シリーズ、「キネマトグラフィカ」シリーズ、NHKでテレビドラマ化された「風の向こうへ駆け抜けろ」シリーズ、「百年の子」などがある。