「娘が巣立つ朝」伊吹有喜氏

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「娘が巣立つ朝」伊吹有喜氏

 就職を機に1人暮らしをしていた高梨家の1人娘・真奈が、大学時代の同級生・渡辺優吾を連れて実家に挨拶に来たところから物語は始まる。父親の健一と母親の智子は、優しそうだが少し頼りなげな優吾に戸惑いつつも、2人の結婚を祝福しようとする。しかし結婚式の話が進むにつれ、両家の違いが噴出。真奈と優吾、さらに健一と智子の間で、予想外の気持ちのすれ違いが始まる……。

「あらゆる人にとって関心があり、なおかつ普段口に出すには努力と度胸がいるものをテーマに設定したいと考えて、『お金』と『愛』のふたつに行きつきました。『愛』を口にしないと結婚には進みませんし、具体的な婚礼や生活を考えれば『お金』の話は避けられない。宝物のように育てた1人娘が、セレブな婚約者を連れてくるという話を中心に、親子2世代をそれぞれの立場から描いてみました」

 本書は、娘の結婚話を機に、家族それぞれの心情が顕在化する様子を描いた令和時代の家族の物語。当初新潟日報などの新聞小説として発表された。

 地方から上京して東京郊外に2人で家庭を築いた高梨家と、もともと東京在住で土地や家を持っていた渡辺家。経済レベルも交友関係も価値観もまるで異なる家庭で育った若い2人が、ひとつの家庭をつくろうとするのだから、齟齬が起こらないはずがない。

 視点人物となるのは、役職定年間近の自動車メーカー勤務の父親の健一(54歳)と、子育て後に趣味が高じて着物の着付け講師を始めた母親の智子(53歳)と、その娘の真奈(26歳)の3人だ。

カネを心配する父・健一のリアルな独白にドキリ

「たとえば健一は、お金の心配はあるし、健康状態も若いときと同じではないしで、家庭では不機嫌で、ため息をつきながら暮らしています。頼りになる男でいたい彼は、妻に弱音が吐けません」

 娘に不憫な思いをさせたくないと思いつつも、追い詰められた健一が(金、カネ、かね。真奈の結婚が決まって以来、自分の周囲で持ちあがるのは、金の話ばかりだ。これがおそらく父親の役目。そう思って自分を励ますものの、気力と体力が湧いてこない)と本音を吐露する部分がある。リアルな独白にドキリとする読者もいるのではないか。

「健一はある人からプロの助けを得た方がいいよと言われるのですが、健一世代の男性にはヘルプを出せない人が多い。でも、その一方で、智子は毎日理由もわからないまま不機嫌な夫と一緒にいることに苦痛を感じている。明らかなDVなら救済も求めやすいですが、不機嫌さだけではそれも難しい。けれど不機嫌は暴力であることに智子自身も気づくんです」

 ひと昔前なら、子どもが巣立った後に残された時間は少なかった。しかし人生が長くなった今、心のつながりがなくなったら中高年世代が結婚自体に疑問を持っても不思議はない。若い2人の結婚と、健一と智子の関係の行方が読みどころだ。

「子育てしてきた親世代は、子どもが巣立つとき、我々はこれからどうしようかと必ず思います。今の50代はまだ老人の初心者で、心と体を立て直す時期ですし、物語の中で健一も智子も次の生き方を必死に探しています。子の巣立ちは、親世代にとっても巣立ちのときであり、新たな旅立ちのときでもあるのかもしれません」

(文藝春秋 1980円)

▽伊吹有喜(いぶき・ゆき) 1969年生まれ。2008年「風待ちのひと」でポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、作家デビュー。「四十九日のレシピ」「ミッドナイト・バス」「彼方の友へ」「雲を紡ぐ」「犬がいた季節」「今はちょっと、ついてないだけ」など著書多数。

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