「声と文字の人類学」出口顯著
「声と文字の人類学」出口顯著
ユニセフがSDGsの目標に読み書き(と計算)ができることを掲げているように、現代社会では読み書き能力(リテラシー)に重きが置かれている。その一方で、口頭のみのコミュニケーションに頼る事態を旧弊として低く見る傾向がある。本書はそうした“常識”を洗い直し、文字によるコミュニケーションと口頭によるコミュニケーションがこれまでの人類の歴史でどのように関わってきたのかをたどりつつ、「文字を読み書きするとはどういうことなのか」改めて見つめ直していく。
文字の登場は、口頭でのコミュニケーションに半永久的な形態をもたらし、抽象的な知識の蓄積を可能にした。ひいては人びとの意識の変容も引き起こし、論理的な思考と科学の発展につながった。つまり、声のコミュニケーションと文字によるコミュニケーションの間には大きな分割線がある──というのが西洋を中心とする一般的な見解だ。しかし、果たしてそうか、と著者は問う。
たとえばソクラテスは、書かれた言葉は、文字は声の影にすぎず、ひとたび文字にされると、どんな言葉でも誤って取り扱われてしまうと声の優位性を説いた。また声と文字それぞれのコミュニケーションは截然と分けられるものではなくその境界を常に行き来していることを「平家物語」の読み本の成立を通じて明らかにしていく。
また現在においては、携帯メールやSNSなどで、「了解」を「り」と短縮したりする「打ち言葉」が広まり、書き言葉能力の弱体化が危惧されているが、著者が教える学生には手書きの手紙、あるいはメッセージカードをやりとりすることを重視している者も多く、そこには文字の触覚が深く関わっているという。今後さまざまな媒体が登場するだろうが、本書が描くように、読み書きの形態は一様ではなく、新旧の媒体が浸透し合い新しいコミュニケーション形態が生まれていくのだろう。〈狸〉
(NHK出版1760円)