山路徹氏の恩人は筑紫哲也氏 フリーランスの活動支え続ける
しかし、僕は伝えたい映像を撮るために取材に行きたかった。そのスタイルを貫くためには、退社するしかありませんでした。そして会社を立ち上げたんです。フリーランスになったわけですから、取材にかかるすべての費用は、当然自費になります。
車を売って取材費に充て、自衛隊初のPKO派遣となったカンボジアへ行きました。そのリポートは「Nステ」で放送していただきましたが、「辞めた人間にやらせるのはどうか」とか、賛否両論ありました。それで、フリーになって2度目のボスニア取材の映像は、TBSのある報道番組に持っていったんです。
でも、その番組のプロデューサーには受け入れてもらえなかった。VTR素材を両手に抱えてスタッフルームを出たら、そこに立っていたのが「NEWS23」のプロデューサー。「その中にあるのはボスニアの映像ですか」って聞かれて、「そうです」と答えたら「じゃあ、僕らの方にも見せてもらえますか」ってなって。それで「NEWS23」のスタッフルームに行って映像を見ていただきました。
そして、すぐに「放送したい」と言ってくださり、その後で筑紫さんを紹介されました。筑紫さんは編集について「映像にBGMとかを入れるのはやめよう。スタジオで僕と山路さんの会話だけで流そう」と提案されたのを覚えています。