編集作業で身に染みる緒形拳さん「芝居がヘタ」発言の真意
新作映画の仕上げ編集はしんどくて手間のかかる苦しい作業だ。役者の無駄なセリフや動きを削ったり、いわゆる「演技の粗隠し」作業だ。ヘタな演出も手伝って、大袈裟でヘタな言い回ししかできなかった三文役者を、いかに芝居上手なヤツらに変身させるか、そこが“編集の腕の見せどころ”だ。カットとカットをどうつなぐかで、その役者が売れるかどうか、将来も左右する。20年ほど前の飲み会で、緒形拳さんに「『復讐するは我にあり』で主人公が木の下で立ったまま、人を刺し殺したばかりの血まみれの両手を自分の小便で洗って流すシーンは、ホンマの小便だったんですか?」と野暮を承知で聞いたら、
「そう。でも、現場でなかなか出なくてさ」
と苦笑し、
「井筒さ、舞台でもそうだが、共演者に『今日のおまえの芝居はヘタだから、どうも噛み合わなかったな』って言われるとうれしいんだな」
と言ってのけたことがある。“芝居がヘタ”というのは芝居になっていない、芝居してないように見えたということで、客や相手役にひと目で芝居だとバレるような小細工演技はするな、ということかと思ったが「役者は芝居していないように芝居しろ」ということだと年月を経てわかった。簡単なようでこれがなかなか至難だ。いくら自然に演じたつもりでも芝居に見えてしまうとダメだ。俳優の素質はそこで問われる。